こーへいのブログ

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競泳における協調性を考える回

世間は渋谷のハロウィンに税金1億円使っただ首里城が燃えただ八村塁が23点取っただなんだ騒がしいですが今日も大人しく部屋でブログ書いてます。

こんばんは。こーへいです。

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今日の一曲 AKB48ハロウィン・ナイト

今日は年に一度のハロウィンですのでこの一曲です。僕は今年もハロウィンとは無関係かと思っていましたがノリで同期の部屋に「trick or treat」と凸ってみたらお菓子をもらいました。英会話教室に通っていた時以来にハロウィンっぽいことができました。同期に感謝です。ありがとう。

 

 

 

さて今日は協調性について書いていこうと思います。

「急だな」って感じかと思いますが、ちょっとそれに関して考えることがあったんですよ。

今日の練習前に全体でミーティングがありまして、そこで競技に関する心理レベルみたいなのを測る心理テスト的なのをやりました。そこでわかるものの中に協調性という項目があったわけです。

確かに僕は高校生の頃ぐらいから「人としての何かが欠落している」とか言われることが多々あったので協調性も少しは低いのだろうとは思っていました。で蓋を開けてみたら5段階評価中1とても低いの評価です。

一応とはいえ学年リーダーという役割を受けている身で高校のときはキャプテンをやっていたのです。それが協調性とても低いですよ。どうりで向いていないわけです。

 

しかしですよ、僕はここで「協調性身につけよう」とか従順に考えるような輩ではありません。自分でもわかるぐらいには捻くれているもんですから「競泳に協調性要らなくね?」と考えるわけです。

で、このタイトルになったわけです。

それでは競泳に協調性は必要なのか考えていきましょう。

 

まず考えなきゃいけないのは、協調性を発揮する場面です。

そもそも競泳は個人種目ですので、競技中に発揮する場面は一切ありません。となると可能性があるとすれば練習中です。練習は他人と関わるので必要なように見えます。が本当に必要でしょうか。

別に互いが上手くやっていけていなくても練習の質や量とは関係がありません。関係性がないと良い雰囲気は作れないように思えますがそんなことはありません。雰囲気の良し悪しはほとんど声だしで決まっています。声だしは基本は自分の士気を高めるために行っているものなので他人との関係性でどうこうなるものではないのです。

つまり練習中も発揮する場面は無いのです。

 

ということで競泳は協調性を発揮する場面がないため、必ず必要な能力ではないことがわかりました。

まぁ協調性がないと集団に属している身分としてはどうなのかという議論はあるかと思いますけど。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。